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ルワンダ内戦を生き延びた一人の女性のエッセイです。
本の冒頭に、「ルワンダ内戦の詳しい話は他の書籍に載っているのでそちらを読んでください。
この話は私と神様との対話の記録です」とありましたが、本当にその通りでした。
ルワンダとは?
ルワンダはここです。
アフリカ大陸中央部にある小さな国土の国。
ヴィクトリア湖の隣にあります。
イマキュリーさんは、太陽がヴィクトリア湖から登る朝の風景は、まるで天国のようだったと記していました。
彼女はルワンダで生まれ育ちました。
自国を天国と表現するほど、ルワンダを心から愛していることがよくわかります。
1994年ルワンダ虐殺について
ルワンダ内戦について、詳しいことは言えないのですが、
1割のツチ族が約9割のフツ族に虐殺されました。
ベルギーなど大国の思惑や、国連の怠慢、助けや支援が乏しい中ばたばたと人が殺されていきました。
約3か月の間に100万もの人々が殺されていった渦中で、若い女性だった彼女が、命をつなぐことができたのは、ものすごく強運だっただけでなく、神様への祈りの証なのかと思わされます。
むごい虐殺ばかりで胸が痛くなります。
これが作り物ではなく本当にあった出来事だということ。
そしてその当時、私は何もわからず平和に学校に通っていたということ。
世界はまるで公平でも平等でもないのだと、衝撃でした。
この本を読んでいる時、私は状況的にはつらい時でした。
夫と入籍前に子どもができ、出産して復帰するはずが会社に嫌がられてコロナ禍になり離職。
収入源を立たれ、0歳児がいて、再就職などの先も見えず、ひとり親でもなく支援皆無。
貯金を切り崩しながら抑えて生活し、未来を悩んでいましたが、
そんな状況どうってことないと、この本を読んだら目が覚めました。
命が保証されていて、子どもがそばにいるんだから、どうとでもなると。
書中 印象に残っている部分
衝撃的、印象深い部分は胸に今も残ります。
ルワンダ虐殺の最中
- 彼女の母親は、死ぬまで切り刻まれた
- 兄は、ひとりで暗い穴の中に隠れ耐え続けていたが、食糧を運んでくれていた友人から秘密が漏れていってばれてしまい、生きたまま頭蓋骨を割られ殺された。
- 「今日は僕が神様と出会う日だ」と言って死を受け入れて殺されていった。
- 立ち会ったフツ族の声が聞こえてきて、兄が殺されたことを知ったイマキュリーは声を抑えられず号泣した。一緒に隠れていた女性たちがみつかるのではないかと心配するほど。
- 弟とその友人も逃げる場所を探していたが、一緒に隠れることは、イマキュリーを保護してくれていた牧師が無理だと断った。
- 弟と友人に希望を持って逃げるよう伝えるイマキュリーの辛さ苦しさに胸が刺さる。希望を持って逃げられるような場所などもうどこにもないことなど、誰でもわかることだったから。
- 真摯に神様に祈りをささげているのに、助からない同胞達がたくさんいるのはなぜなのか、神様に問いかけていた。祈りながら、音でツチ族の子どもや老人が殺されていくのを知っていく。
- 亡くなっていくツチの人々が、迷わずに天国に行けるよう、導いてくれるように祈り続ける。
- 助けにきたはずの国連側の人々が、フツ族のエリアの真ん中で、引率してきたツチ族を残して去ってしまった。
- ここでトラックを降ろされたら、ここまで逃げてきたツチ族が全員殺されてしまうことは明白なのに、上からの指示でこれ以上は保護できない、と。
- イマキュリーは自分を奮い立たせる歌を歌いながらあと少しのところにいる、ルワンダ愛国戦線の仲間たちに応援を頼みに歩いていく。(読みながら号泣する)
- 教会の裏で殺されたツチ族が積み重なって山になっているのを見て、イマキュリーは咄嗟に嘔吐した。
- 他のツチ族で生き残った女の子は、殺された父と母、姉の遺体にはさまれて運ばれている最中に目を覚ましたが、生きていることに気づいたフツ族に再度腹部を刺された。恐怖はなかった。ただ痛みだけを取ってくれと神様に祈っていた。
- ツチのある女性はフツ族に襲われ四肢を切断された。もがき苦しみ1日半経った後にこと切れてなくなった。
虐殺から逃げのびた後
- イマキュリーはキリスト教でカトリックだった。結婚相手も、できればキリスト教カトリック信者が良いと思っていた。現在の夫に出会った時に「私の人生にようこそ!」と思った。(私の人生にようこそ、という感覚がとても新鮮だった)
- 3か月間隠れ続けて生き延びたトイレを再び訪れた時、このせまい空間に7人もの女性が入り3か月過ごしたなんて考えられないと感じた。
- ツチを殺したフツの人々を会いに行って、よれよれになり泣いて崩れ落ちるフツの人に、「あなたを許します」と言った。
- 殺された兄と母が埋葬されている場所に行き、掘り起こすことにした。近所の人々はやめた方が良いと言ったが決行した。掘り起こしていると、見覚えのある犬歯がちょっと出た歯並びの頭蓋骨が出てきた。失神して倒れた。
感想 まとめ
彼女はニューヨークに移り住み、結婚して子どもが4人いるとありました。
この神様への祈りの記憶を発表したところ、日本語に訳したいと申し出があり、出版になったそうです。
この本は衝撃の連続でした。
濃い映画を見ているような、ハラハラしてこちらも心をえぐりながら、夜も読み続け、2日で読み終えました。(息子授乳中でしたが、深夜授乳の間にずっと読んでました)
この本に出会えてよかったです。
ぼんやりと下を向いて生きていましたが、冷水をかけられたように目が覚めました。
許すとはどういうことか
当時、私には許せない人間がいました。
モラハラと金銭的搾取で私をけちょんけちょんにした元夫と元姑。
息子を妊娠後から邪魔者扱いして私を退職させた前会社の社長。
頭によぎっては怒りに自分が侵食され一人苦しんでいましたが、
この本を読み、自分の概念ががらりと方向転換しました。
自分の友人や家族を殺した人たちを許すとは。
許すという行為は自分を憎しみや苦しみから解き放す重要な行為で、実は被害を受けた側を立ちなおさせるためのものなのでは・・・
「もう許そう」口に出してみたら、泣けてきました。
自分を苦しみから救うには、許す気持ちが大事でした。
そのことに気づかせてくれました。
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ここまで読んでくださって、
ありがとうございました。
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