こんにちは。
ページを開いてくださって、ありがとうございます。
私は、モラハラでとても苦労して、身心に深いダメージを受けました。
10年弱たった現在でもまだ後遺症があります。
ちらしながら、小さくしながら一緒に生きていければいいと思っています。
時系列で綴っています。
モラハラ夫と生活を始める
結婚に向けて話し合う中で、あれ?なんでこんな些細なことで、街中でぶちぎれる?と不安を感じることが増える。
でも、自分が悪かったんだろう、自分の至らなさで彼が怒っただけ、と思うことにしていた。
不安、疑問に向き合わないで、結婚する。
心のどこかで、結婚すれば関係は良くなるだろうと淡く期待していた。根拠もなく。
モラハラのある生活
モラハラのある生活についてはこちらからどうぞ。
茹でガエルのお話、聞いたことありますか?
身心不調になり、びらん性胃炎になる
モラハラ生活で身心不調になり、びらん性胃炎になりました。
徐々に崩れていく体調、どんどん自分でバランスが取れなくなっていきます。
その話はこちらからどうぞ。
一緒に暮らす中で怒鳴られたり、否定されることが日常的になり、どんどん落ち込む。姑も夫と同意見のため、二方向から日々だめだし。でも見直してもらえるように頑張ろうとする。
夫の機嫌を損ねないように行動、発言していければ、彼は機嫌が良いのでそれにまいしんする。
姑からもそれが良い嫁だと常に言われる。
結婚とはそういうものなのだと受け入れ、夫の機嫌取りがうまくなっていく。
やがて妊娠し、里帰り出産をするため実家に戻る。
夫の機嫌取り生活を一時中断することに。
娘出産!守るものができて、モラハラ夫の行動に違和感を強く感じる
迷言「俺は立ち会いたくない。手を取って頑張ってなんて大の男のすることじゃない。
ハラハラしながら静かに扉の向こう側で待つ。男のすることってそういうもんじゃないか。」
迷言「娘が生まれた時、あぁ俺の仕事は終わったと思った。😊」
生まれた翌日、寝ている娘の鼻の穴にこよりを差し込み起こして泣かす。
それを見て腹を抱えて笑う。嫌すぎて涙出た。やめてほしくて泣いた。夫、神経質すぎると気を悪くする。可愛がってるだけなのに、と不機嫌になる。
産後のひだちが悪く、産後1か月は実家でずっと横になって生活をしていた。
食事も腹ばい。体を拭くのも横になったまま。それを見て笑い小馬鹿にする。私の両親がいても。
悲しいし傷つくし、何より親に私が大切に想われてないことが露呈してしまい、親の気持ちを思うと申し訳なく、きつかった。
私が結婚した男はとんだ大馬鹿だったのがはっきりわかってしまって。
里帰り中、娘の顔を見に、仕事の休みの日にこちらに来るが、野菜のある食事が取れない、洗濯物がたまる、何がどこにあるかわからないと文句ばかり言う。
私の作った食事を一人でたいらげて、入れたコーヒーをすすり、娘を眺めて3時間ほど休んで帰っていく。帰りにスーパー銭湯に寄ってゆっくり疲れを流して一人住まいの家に戻り、翌日の休みはひとりで過ごしていた。
産後の体もつらいし、なんでこんなに夫に気を使ってこちらの実家でまであれこれやってあげないといけないのか。
なんでこの人はこんなに偉そうで不満をこちらにぶつけてくるのだ。
子どもは眺めているだけで、邪魔なのか?
変だと思っても、実家で怒りだすのが怖く、申し訳ない姿勢で苦笑いを浮かべていた。
帰っていくと心底ほっとして横になった。
夫が来ると緊張してずっと働いてしまっていた。
親はそんな私を見かねて、夫が来る日は仕事に出るようになった。
夫が来ても何も手伝わず、ご飯食べてコーヒー飲んで生活の不満の笑い話を聞いて、早々に帰っていくだけなので、腹立たしかったのだろう。
両親に申し訳ない気持ちが募り、それも苦しかった。
モラハラ夫と新生児との過酷な三人生活が始まる
里帰り終了後、彼の機嫌を損なわないよう取り繕う生活が、新生児のお世話で出来なくなる。
彼が常時イライラし、私への暴言・暴力的行動が増える。
新生児の頭を叩いたり、全身布団をかけて離れたり、首がすわってないのに腹ばいにさせる。
意味不明の行動をし始める。
それをやめてほしいと伝えるとやってないと怒り出す。
抱っこしている時に娘の頭を叩いたことがあったので、その場でやめてって言ったら、やってない!と大激怒したことがあった。
モラ夫にとっては自分の都合の悪いことはすぐに無かったことになる。
モラ夫が夜に一人で外出していくことが増える。20時~深夜1時過ぎぐらいまで。
いない方が安心するので、何も咎めなかったら週5で夜遊びに出かけるようになる。
一人で実家から離れた土地で、育児していく。孤立していく。
ひとりでの新生児育児と、求められる家事、夫への恐怖、緊張から疲れがたまっていく。
産後の赤ちゃん訪問で、現状の悩みを相談したら、保健師さんが泣いてくれた。
そこで、自分の現状はやはりおかしいのだと気づく。
市の担当保健師さんと話すようになり、男女共同参画に相談を始める
担当の保健師さんがつくことになる。
話を聞きに来てくれて、どうしたらいいかわからないので困っていると相談。
子どもの健康や私の産後ケアなどみてくれた後に、夫婦間の問題を取り扱う場所として、男女共同参画を紹介される。
その後も継続して、たまに電話をくれては様子を聞いてくれる。(でも面倒くささ全開に出してる人もいた)
個人の問題に向き合い話し合う月1のミーティングみたいな集会も案内してもらった。
数回行ったが、話の聞き役の素敵な女性がいた。
その人に今辛い悩みを話し出したらタガが外れたように大泣きしてしまった。
その時の私にはとても必要な出来事だった。
その後、市の男女共同参画センターに月1くらいで通い相談する(電話だったり、訪問だったり)
母にも、電話で話を聞いてもらっていたが、とても負担をかけていた。
また、インターネット上のやりとりに心救われた。Mixi。同じような苦しみを抱えて頑張っている方もたくさんいると教えられた。
モラハラで心が追い込まれ、宗教に救いを求めそうになる
妊娠中にできた友達に悩みを話してみると、宗教に誘われる。
子連れで集会所にも連れてってもらう。
人がたくさんいて皆温かく迎えてくれて、とても嬉しかった。人の温かさに飢えていた。
救いを求めそうになった。(結局踏みとどまったが。)
従妹、親友に相談する。考えを頭の外に出すことで、何が問題でどう思っているのか認識していく。
とてもつらい作業。精神的にきつい。自己憐憫にかられる。
精神的に落ちていく。体も引っ張られてあちこち不調になる。
体と心はつながっている。
心はごまかせても体は正直で、どんどん不調が出てくる。
病院に行ってみてもあまり良くならない。
婦人科に通って、娘妊娠からずっと止まっていた生理を5年ぶりに再開させた。
生理は再開したが排卵は起きていなかったが、そこから先は不妊治療の範囲で保険適用外になるのでやめた。
心療内科に行ってカウンセリング等受けるが、意味がわからず一回限り。
カウンセリングの先生の、大きなヴィトンのバッグがイスにどでかく居座っていた。
そのバッグが心の壁を作った。
ドクターは、私がまだ授乳中だったことを話すと、あなたはおかしいと鼻で笑った。
もう心療内科に通う気はなかった。
最終的に希死念慮がわく。
墓参りに行ったら、離婚したい理由がはっきりわかった
義理の父の墓参りに行った。
北関東の遠くてうす暗い山の中の墓地。古くからある墓石がいっぱい。
自分が今の状態で死んだら、ここに埋葬される。
両親も娘もここに墓参りに来ることになる、そんな不憫なこと、させちゃいけない。
正式に離婚しなければ、骨も自由になれない。
私はここに葬られたくない。
自分が死んだ後、骨がここに葬られるんだと思うと背筋が凍った。
たとえ骨でも、こんなところに埋葬されるなんて、ゆかりもないこんな土地で、寂しくて恐ろしくて仕方なかった。
墓参りに行って、直感的な離婚理由が芽生えた。
モラハラ夫との大喧嘩、初めてうけてたつ
なんでもないことで涙が出るようになる。自分の精神状態おかしい?と不安になる。
頭痛、肩こり、腰痛、めまい、吐き気、食欲不振、胃腸痛、嚥下機能の低下、抜け毛、不眠など、ありとあらゆる体調が悪化する。
そんな中、再放送の「ひるがお」を見てカルチャーショック。(W不倫のドラマ)
これです。これ。↓
自分はこんなに地を這うような生き方をしている・・・目からうろこだった。
鬱憤たまりまくった自分の中で、何かが怒りに変わって、イライラを肯定するように、種火のように、静かに燃え広がっていった。
夏が終わるころ、娘が体調不良になり、モラ夫の機嫌も最悪になる。
(娘の体調不良は母親の監督不行届!の思考なので、喘息持ちの娘が体調悪くなると平行して機嫌悪くなる人だった)
3日ほど無視されるが、もうどうでも良いので放っておいた。
困ったりおろおろしたりせず、ご機嫌伺いも謝りもしない私。
廊下で小走りしていたら、夫とすれ違う時に軽くぶつかって、モラ夫がブチ切れた。
それどころじゃないので私もブチ切れ返した。
だって、娘の吐しゃ物を両手で受け止めてたから(笑)それどころじゃなかった。
手を洗ってから、初めて、同じ土俵に降りて罵り合いに参戦した。
昼顔が私を強気にさせていた(笑)
→ 結果、これがきっかけとなって完全に離婚を目指すことになる
別居までの段取り
今までずっとしていた、いってらっしゃいのお見送り、おかえりなさいの出迎えをやめる。
(弱い自分との決別)
基本モラ夫は仕事から帰ってきたら夜遊びに行くが、たまに夕飯を食べる時があったが、その場合は私は同席しない。
(家庭と夫を支える良き妻をやめるけじめをつけた。)
大事なもの、必要なものを段ボールで実家に送る。
親に一時居住の了承を得ておく。離婚成立するまで。
実家のある市区町村で娘の保育先をどうするか役所に相談する(相談実績を残す)
現在通っている幼稚園の園長先生に事情を相談しておく(退園理由を知っておいてもらう)
現金を貯めておく。手元に。夫にわからないように。
モラ夫のモラ行動、おかしな行動の証拠となるものを集めておく。過去のモラ記録を掘り出す。記録をつける。(精神的にきつい作業)
電話番号を書いたメモ、私の知らない口座のATM利用明細書を発見する。
避難先近場の法テラスを探す。出来れば法テラス利用可能審査を受けるとこまで進めておくと後が楽。
市区町村のお世話になっていた保健師さん、男女共同参画の相談員さんにそのうち別居することを報告する(必要な時にはまた相談にのってほしい旨話す)
モラではなくDVの方を重点的に警察に相談する(実績残す)
多少時間が前後にずれても、絶対に決行できる日を決める。当日の時間単位での行動をシミュレーションをする。
住民票上同居のうちに、取れる書類を取っておく。(市県民税証明書等)
自分と子どもの転籍届は一番最後にする。同居してないと取れない書類多数。(これで目の前で取れなくなった書類あり・・・調停に必要だったのに。)
弁護士ついてたので、弁護士経由してモラ夫にとって送ってもらった。(笑)
最後、夫の通帳とカードでATMから50万円二回引き出した。
子連れ別居を断行。離婚のための様々な準備
モラ夫が姑と温泉ふたり旅行に行く日に、家を出た。
娘にはもちろん何も言わなかった。
幼稚園に送ってから、急いで荷造りして集荷を頼んだ。
午後、幼稚園に迎えに行って、そのまま電車を乗り継いで実家に帰った。
二度と戻らなかった。
・・・
離婚に向けて実際に動き出した。
離婚調停の記録
双方弁護士を雇い、調停離婚するまでは、こちらからどうぞ。
上記の詳細は、追々書いていきます。
各項目からそのページに飛べるようにしたいです。
どなたかの何かお力になれたらうれしいです。
ただ、調停記録など残しておいた書類を引っ張り出して読んでみると、最初の数ページでめまいが。
その後吐き気が。
体は正直だ(笑)
モラハラは人を中から殺していくんですね。
モラハラは暴力です。
私は暴力に晒され、殴られ続けてきたようです。
目で見てわからないから、気づかなかっただけでした。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。